二月二十日

   わが懐かしの海外展示会(1)       

 1980年代の終わりから90年代のはじめにかけて、私は大手鉄鋼会社の広告宣伝を担当していた。折から経済のグローバル化の進行とともに、企業間に差別化・識別化が問われはじめたころだ。当然自社の広報、広告、宣伝に注力する企業が目立ってくる。しかしわが鉄鋼業界においては、そのニーズは著しく乏しかった。装置産業として長く寡占状態に安穏としてきた鉄鋼業界にその必要がなかったからである。強いてあったとすれば採用活動(とくに高卒男子の金のタマゴ目当ての)でのものだった。ところが私の企業は鉄鋼のほかに造船やエンジニア部門事業の主軸に副えていた。とくにエンジニア事業では国内外のコンペティターと鎬を削っていた。そこで会社は宣伝を強化するようになった。「宣伝」とは「宣布伝化」の略だから、要は相手の目を騙すということだ。そのために美しいカタログや技術資料をつくり、当時はまだ黎明期だった展示会という宣伝機会に注目し始めていた。

 この展示会というツールの制作はおもしろかった。3メートル×3メートル=9平方メートルを1小間(コマ)とし、大体10小間前後の敷地に自社ブースを建設する。そのエリア内では何を作ってもよい、どんなパフォーマンスを展開してもよい。精巧な模型やテクナメーションという電光説明装置などを持ち込んだり、美人の説明者に説明させたり・・・。

 私の会社は海外展示会にもよく参加した。いまパスポートの記録をみると、私は計23カ国に行っている。普通、私たちの仕事は、本番(展示会は4~5日程度)の1週間ほど前に代理店とともに現地に乗り込み、ブースを建設する。

忙しい営業マンは会期前ギリギリに現地入りしてくるから、それまでに準備万端整えなければならない。

 1985年、アメリカ・ピッツバーグで展示会「スチールビッグショー」が開催された。これが私にとってはじめての海外デビューだった。当社からは製鉄エンジニアリング部門が「水平連鋳設備」の売り込みをかけていた。アセアンなど新興諸国では、高炉から鉄を作るには投下資本が莫大すぎる。そこで鉄屑(鉄スクラップ)を溶解し、水平状態に引き抜いて鋼板や形鋼を簡易に製造できる設備が水平連鋳なのである。展示会の主役はこの精巧な模型だった。日本の産業模型会社で500万円かけてつくった。手許のボタンを押すと模型の各部位が動く精緻を極める模型だった。

 開催1週間前、当社のコンテナが地元の展示会社の倉庫に届いた。しかし、この木箱を開けたとき、私は愕然とした。日本を出るときは厳重に養生梱包したはずの水平連鋳の模型が、途中の船揺れで大破していた。  (つづく)