二月十八日

 豊穣の余裕さえ見せて

~伊東泉の世界~

 

 硝子工芸画(パート・ド・ヴェール)の世界は飽きない。糊で練ったガラス粉をいろいろな型に充填して焼成する技法で、紀元前16世紀にメソポタミア地方で開発されたようだ。19世紀末、フランスのアンリ・クロが試行錯誤の末に、この古代技法を復活させた。ガラスの中の細かい気泡が作者の内面を反映するから、アール・ヌーボーやデコの時代に大きく注目され今日に至っている。伊東泉さんはわが国、現代パート・ド・ヴェールの第一人者であろう。

 その近作を「グループ・燦」の展示会(2月7日まで、藤沢ルミネ6階催事場)で観た(写真)。一言で言えば、泉さんの豊穣の内奥がよく出た作品群であった。

 「燦」の発表会はここ数年ずっと見続けてきたが、グループとしての発表の場を東京・銀座から地元・藤沢に移したことが「吉」の方向に出たと思う。いや何より泉さんの人生が充実期に入ってきたことを慶ぶべきだろうか。数年前、銀座の画廊で観た「禱り」は、ガラス粉を少し立体的な「聖書」仕立てにしていたが、美しくはあっても感性が鋭角に尖っていて何となく作者の「イライラ感」が前面に出ているように感じたものだ。今回の作品は、皆かなり余裕をもって鑑賞できた。パート・ド・ヴェールは作者の制作意図に敏感に反応する。例えば、今回の作品はどれもソフトな「朦朧感」に包まれていて、線が二本あったり、大小であったり、交錯したり交わらないものもある。これは明らかに泉さんの現環境を暗示しているかのようだ。どれが誰とは言わないが・・・。「人生はここからが面白い」とのみアドバイスしておこう。

 

 泉さんと私は、巨人・大畑等(前・現代俳句協会IT部長)に何度もぶつかっては跳ねかえされてきた《同盟軍の戦士同志》である。その大畑氏が旧臘突然に身罷った。もう、あの楽しい日々は帰らない。今はただ、深海の底を見つめるように深く祈るしか・・・それしか、ない。朦朧としたパート・ド・ヴェールの、しかしふんだんに明るい光にうち沈んでいるこれらの作品のように・・・。

 

春光や堪えても堪えても堪えても燦  元夫

小野元夫俳日記より)